宝の洞窟
死海を取り巻くイスラエルの山脈に、かつて死海の写本が発見された場所とよく似た洞窟があり、1961年にエルサレムのヘブライ大学の考古学者の一隊が、この地で人類最古のロートアイアン文化への手がかりを発見した。
後に"宝の洞窟"と呼ばれるようになったこの洞窟は、非常に危険な近づきがたい場所にあります。
入口は絶壁の前面約195メートルの高さにあります。
現在では崖の頂上から縄ばしごをおろして入ロに向かうしか方法はないが、5000年以前には、崖のふもとにある数か所の泉へ1本の曲がりくねった狭い道が通じていたものと思われます。
このようにたいへん近づきがたい洞窟であったために、今日近東地域で高値を呼んでいる古器物あさりを目的に、ときには考古学上の大破壊を及ぼす放浪の民であるかのベドウィン族の侵入をも許さなかった。
この宝の洞窟は、その昔、迫害をのがれてきた人びとの隠れ場所として利用されていたようです。
その床面には、ギリシア語やヘブライ語で書かれたパピルス紙の破片、ヘブライ語の碑文が入った陶器のかけら、石製のランプ、皮革製品、ガラスや織物のくずなどが散乱していました。
これらの品々はすべて、西歴紀元の当初にさかのぼるものばかりでした。
ここに残されたこれらの品々は、歴史的な事件と重ね合わせてみると、紀元70年、ローマ軍によって第2神殿が破壊された後、エルサレムを脱出したユダヤ人が残したものであることが判明しています。